村上海賊にまつわる戦国の城跡17選!【日本遺産認定】ストーリーから紹介!

能島城跡
この記事の所要時間: 545

愛媛県今治市と広島県尾道市ににある、17の城跡と地蔵鼻は「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」のストーリーを構成するものとして、日本遺産に認定されています。

村上海賊に関連がある城跡の中には、島に歩いて渡ることができる島や1年に1度しか行けない島などもあり、今でも当時の石垣などの遺構を見ることができます。

この機会にみなさんも、村上海賊が利用していたとされる城跡を知り、当時の海賊たちの気持ちになって巡ってみてはいかがでしょうか?

日本最古の水軍城!甘崎城跡

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こんにちは、海賊つうしん。のウシオです!
今日は日本遺産に認定された「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」のストーリーを構成する、文化遺産の城跡について紹介していきましょう。
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うむ!
まずは今治市上浦町甘崎の古城島にある、甘崎城跡(あまざきじょうあと)について紹介していきたいと思っておる。

甘崎城跡(写真提供:Yumiko Tamai様

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私も協力させてもらうわ!
よろしく、タケヨシさん、ウシオちゃん。
この甘崎城は、天智天皇10年(671年)越智氏によって築造されたと言い伝えられており、日本で最も古い水軍城になります。
またの名を天崎城ともいわれているんですよ。
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日本で最も古い水軍城、いったいどんな城だったんだろう!?

古代では大山祇神社の東方鎮護として機能した島だが、古名は「アマノサキ」で、アマは海人を、サキは防人の意を指し、鎌倉期に海人(海武士)を取り締まるために城砦が築かれた(海武士から警護する)ことから始まり、由来はそこからきてる。

13世紀の元寇をきっかけとして、海武士の取り締まりから一転、海上交通の取り締まりをする役割を担い経て、南北朝期から戦国期にかけては村上水軍が東から下って来た船舶を捕捉して積荷を改め、通行税を徴収する拠点に至る。この税を生活の糧とした。

甘崎城 – Wikipedia

甘崎城跡に渡る様子(写真提供:Yumiko Tamai様

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その甘崎城があった古城島は、無人島で島全体が城跡となっておる。
普段この島に上陸する事は出来ないんじゃが、年に何回か海面の高さが最も低下した時にだけ島と島の陸がつながり、歩いて渡ることができる
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海の上を歩いてるみたいで面白そうですね。
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古城島・甘崎城跡の詳しい詳細は、ここじゃ!
http://www.imabari-shimanami.jp/spot/amazaki.html

年に1度しか行けない!能島城跡

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次は、能島城跡について紹介していきますね。
能島城は、現在の愛媛県今治市宮窪町能島にあり、応永26年(1419年)に村上雅房によって築造されたと言い伝えられているんです。
能島村上氏は、この海城を本拠地としてあたりの海を支配していたんだけど、1588年(天正16年)に「海賊停止令」が秀吉によって出され廃城となってしまいます。

能島 船乗り場

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「海賊停止令」!
そんなのが出されたんだ。

能島城跡看板

能島 石垣

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ウシオよ!
この能島には、基本上陸する事は出来ないんじゃ!
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えっ!どうしてですか?
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この能島は今は無人島で、定期便がない
しかし、安心せい!
1年に1回だけじゃが、4月の花見季節を迎えると臨時の船が出て、この島に上陸することができるんじゃ!
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年に1度だけなんですね、行ってみたいな!
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いつ船が出るかは決まってないようじゃから、ちゃんと調べて行くほうが良いじゃろう。

能島は逆三角形の形をした島で、その中心となる高台に本丸、それを取り囲むように二の丸、西の先端部に三の丸、南の南端部に東南出丸、東の先端部に矢櫃と呼ばれる曲輪があり、南の鯛崎島も鯛崎出丸となっている。 能島の周辺は潮の流れが速く複雑で自然の要害となっている。

伊予・能島城(城郭放浪記)

能島2

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能島城の詳しい詳細は、下記をクリックしてください。
http://kahoo0516.blog.fc2.com/blog-entry-310.html

武志(務司)城跡と中渡(中途)城跡

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次に紹介するのが、現在の愛媛県今治市吉海町椋名にある、務司(むし)城跡と中途(なかと)城跡じゃ。
まずは、務司城跡から紹介していくぞい!

武士島と中渡島(写真提供:Yumiko Tamai様

務司城跡

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務司城があったとされるのは、現在の武士(むし)島になります。
この城は1200年頃に、村上頼遠(むらかみよりとう)が築造したと言い伝えられており、今でも石垣や城のまわりの通路などが残っているんです。
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そうなんだ!
今でも残っているんですね。
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うむ!
明治ごろには、この島で桃が育てられた事もあるんじゃが、現在はこの島も無人島になっておる!

中途城跡

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次は、中途城跡の紹介をしていきます。
ここの城跡は現在の中渡島にあり、平安時代のこの城の主は村上清長で、室町時代には村上海賊の本営になったそうです。
また、この島は日本初の潮流信号所となり、当時は腕木式(うできしき)潮流信号機というものを使って、潮の流れの向きを知らせていたんです。

サンライズ糸山・腕木式潮流信号機看板

サンライズ糸山・腕木式潮流信号機(写真提供:Yumiko Tamai様

腕木式信号機は二代目に変わるも、100年以上も前から海上交通の要である来島海峡の安全を守り続けてきたのでした。世界で、この来島海峡だけにしか残っていなかった腕木式潮流信号機も、時代の流れとともに灯台式へと変わっていきます。
潮流信号の電光表示方式への統一に伴い、平成24年3月をもって腕木式潮流信号機は幕を閉じることとなりました。これにより腕木方式による国内の潮流信号はすべて廃止となったのでした。

来島海峡の見どころ / 来島海峡急流観潮船

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初代の腕木式潮流信号機は、サンライズ糸山の正面の入口前に保管されておるぞい。
サンライズ糸山については、下のURLをクリック。
【サンライズ糸山】しまなみ海道のレンタサイクルと宿泊、食事もできます。
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灯台の前はこんな機械が使われていたんですね。

来島城跡

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ここでは愛媛県今治市波止浜沖の来島にある、来島城跡について紹介していこう!
来島城は15世紀中盤に、村上吉房によって築造されたとされており、島の周りの激しい海水の流れによって、守られた天然の要塞と言われておる。
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自然を利用した城だったんですね。

来島城跡看板

来島城矢印(写真提供:Yumiko Tamai様

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この来島では今でも人が暮らしており、昔使われていた石垣や、桟橋を支えるための柱の跡の柱穴跡(ちゅうけつあと)、来島城の主の屋敷跡の心月庵(しんげつあん)などの遺構が残っています。
またこの島では、定期便が出ているから島内を見て回ることが可能ですよ。

心月庵

柱穴跡(写真提供:Yumiko Tamai様

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この島では住んでいる島の方々が、道や城跡などを毎日きれいに掃除されていてとても気分が良かったわ。
お話もさせていただいたけれども凄くいい人達で印象的だったのよ。
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来島城に関する情報は、こちらです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E5%B3%B6%E5%9F%8E

国分山城跡

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次は、愛媛県今治市古国分にある、国分山城跡について紹介して行こうと思います。
この城跡は、築造されたのは明らかにされていないのですが、1585年(天正13年)の秀吉による四国攻めで、城の主であった村上武吉は城を明け渡してしまう事になるんです。
後にこの城の主となる、藤堂高虎がこの城の最後の主だったと言われているんですよ。

唐子山山頂看板

国分山城跡(写真提供:Yumiko Tamai様

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藤堂高虎が今治城を築造するために、必要な物をこの城から持ち去り廃城となったんじゃのう。
今では、城跡のある唐子山の山頂とふもとの中間には、藤堂高虎の跡を継いで藩の領主となった、久松松平家の墓所がある、この場所は県指定史跡なっておぞ。
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そうなんだ!
今治城を建てるのに、国分山城の物が使われているんですね。

久松松平家の墓(写真提供:Yumiko Tamai様

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国分山城跡の詳しい詳細は、ここをクリック!
http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ehime/imabarisi02.htm

日本三大水城の一つ!今治城跡

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次は、今治城跡について紹介していくぞ!
この城は、吹揚城(吹上城)とも呼ばれており、1602年に藤堂高虎によって築城され、1613年に完成したといわれておる。

今治城(写真提供:Yumiko Tamai様

村上氏が去った後、国分山城に替わって藤堂高虎が築いた当時最新鋭の近世海城。来島海峡の地政学的重要性が村上海賊時代から継承されたことを示し、芸予諸島に残った海の人々がこの城を舞台に活躍した。

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またこの今治城は、3重の堀に海水を引き入れた特別な造りで、船で堀まで入ることができるなど、海を利用した海城で日本三大水城の一つと言われておるんじゃ!
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船でお城の堀まで入れたんだ!
便利ですよね。
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1980年には天守閣、1985年には御金櫓、1990年には山里櫓再建、2007年には鉄御門再建などが建て直しされたから、今治城に行けば見学することもできますよ。

今治城天守閣

御金櫓

山里櫓(写真提供:Yumiko Tamai様

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今治城の詳しい詳細は、下記のURLをクリックしてくださいね!
日本三大水城【今治城】広大な内堀にサメやエイも現れる藤堂高虎の傑作

怪島城跡

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次に紹介する城跡が、怪島城跡(けしまじょうあと)です。
現在の愛媛県今治市大西町別府にあった怪島城は、築城された年はわかりませんが、村上通康の家臣神野左馬允によって築城されたといわれているんです。

怪島伊予・怪島城(城郭放浪記)より

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現在怪島城跡は無人島で、海城として使われなくなった後そのままにされていたようで、遺構が好ましい状態で残っているそうですね。
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そうなんだ!
それは、見に行く価値ありそうですね。
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しかしのう、この島からは船が出ておらんのじゃ!
島に行くには、自分の船やレンタルした船で行くしかない。
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それにね、ウシオちゃん!
この島の近くには、釣りのスポットもあるんだけど、「怪島近くで釣り船に乗って夜を明かすと、侍姿の亡霊が出る」という昔からの言い伝えがあるらしいわよ。
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えっ、そうなの!
それはちょっと怖い言い伝えですね。

村上海賊にゆかりのある城跡(広島県尾道市)

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ここで、広島県尾道市の城跡を簡単に紹介していこう!

青木城跡

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はい。
まずは、青木(あおぎ)城跡の紹介からです。
この城跡は、広島県尾道市 因島重井町にあります。

青木城跡 広島県のお城 | 青木城 (尾道市因島)より

標高50.6mの山城で、因島村上水軍の村上新蔵人吉充が永禄10年(1567年)に本城としたものです。尾道のの南西、三原の南東約五里の位置にあり、本城を中心に北を大手、南を搦手とし比較的旧状を保った郭が5段連なり武者走りなども残っています。ここからは、三原瀬戸、布刈瀬戸、備後灘まで見え三原城の前面を押さえる最高の位置となっています。

広島県のお城 | 青木城 (尾道市因島)

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青木城は、1567年に村上吉充(よしみつ)によって築城された物なんじゃ。

青陰城跡

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次は、青陰(あおかげ)城跡の紹介をしていくぞ!
この城跡は、広島県尾道市因島中庄町にある。

青陰城跡 看板 青陰城より

因島のほぼ中央部、風呂山と龍王山にはさまれた標高275mの青陰山頂にあり、三床方面を除く島のほぼ全域及び周辺海域が見渡せられる場所に位置している。現存する郭は、龍王山との間を急崖で区切った三の丸を西端に、東側に本丸、二の丸と並び、東端の風呂山との間を掘り切り二の木戸(城門跡)を構え、北に下ると2段からなる屋敷跡と考えられる郭、更に一の木戸があった削平地に達する。

この城は海賊城ではなく、戦国山城であり、もとは長崎・青木・余崎などの連絡場所であったが、因島村上氏が戦国大名の性格をもつと、本城の役割をはたすようになったであろうと伝えている。後、村上水軍の第一家老救井太郎左衛門尉義親の居城と云う。

広島県のお城 | 青陰城 (尾道市因島)

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この城は建てられた年号などは明らかにされていないけれど、村上義弘が築城したと伝えられています。

長崎城跡

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次は、長崎城跡の紹介をしていきたいと思います。
この城跡は、広島県尾道市因島土生町にあります。

長崎城跡広島県のお城 | 長崎城 (尾道市因島)より

築城年代は定かではない。 南北朝時代に因島村上氏が最初に因島に築いた城と伝えられる。 その後180年間本城として使用され、弘治3年(1557年)村上新蔵人吉充が向島の余崎城へ移るまで続き、その後は村上吉之が城主となったという。

村上氏が因島を領した年代は定かではないが、金蓮寺棟札に村上吉資の名が残ることから宝徳元年(1449年)には因島村上氏が竹原小早川庶家の小泉氏に代わってこの地を治めていた。

広島県のお城 | 長崎城 (尾道市因島)

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長崎城は、因島村上氏が活動するのに初めて使われた城だったんじゃ!

地蔵鼻(鼻の地蔵)と美可崎城跡

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次は、地蔵鼻(鼻の地蔵)と美可崎城跡の紹介をしていくぞ!
まずは、美可崎城跡からじゃ。
この城跡は、広島県尾道市因島三庄町三ヶ崎にある。

美可崎城 看板美可崎城 尾道市より

三庄湾の南の岬にあり鞆,尾道に出入りする船舶を望見できる。郭は56.7mの岬の最高所を中心に南北へ二段の削平地,南東へ帯郭がのびている。岬の南にある入江は船隠しと言われ,この城は燧灘を行く船舶から帆別銭,駄別銭等の通行税を徴収する役目を負っていた。

美可崎城(因島三庄町)/ひろしま観光ナビ

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この城も建てられた年号は、明らかにされていません。
次は、地蔵鼻の紹介をしていきたいと思います。
この地蔵は、因島の南側の半島の先にあります。

地蔵鼻地蔵鼻/ひろしま観光ナビより

三ヶ崎の磯伝いに、地蔵尊が刻まれた自然石があります。その昔、村上水軍美可崎の船奉行が関所破りで捕えられた周防の商人の娘の美しさに魅せられ側女にしようとしましたが、娘が応じないのに腹を立て、殺してしまいました。それからというもの、夜ごと琴の音が渚から流れ、娘の亡霊に悩まされました。そこで岩に地蔵尊を彫り、その霊を慰めたという伝説が残っています。

地蔵鼻/ひろしま観光ナビ

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この地蔵鼻は、恋愛や子宝、安産祈願のスポットでもあり、お礼参りをする者が数多く訪れるんじゃ!

岡島城跡

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次は、岡島城跡の紹介をしていきます。
この城跡は、広島県尾道市向島町小歌島にあります。

岡島城跡備後・岡島城(城郭放浪記)より

築城年代は定かではないが弘治年間(1555年~1558年)に村上吉充によって築かれたと云われる。

因島村上氏の当主村上吉充は厳島合戦において毛利氏に与し、その恩賞として向島と宇賀島を与えられた。この宇賀島に築かれたのが岡島城で当時は向島とは別の島であった。 因島村上氏は長崎城から余崎城へと移り、永禄10年(1567年)には青木城へと居城を移した。このとき岡島城には城代として長崎城代であった村上備前守吉之が移ったという。

備後・岡島城(城郭放浪記)

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この城も建てられた年号は明らかになっておらんのじゃが、1555年から1558年の間に村上吉充によって建てられたものじゃと言い伝えられておるわい。

余崎城跡

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次は、余崎城跡の紹介をしていくぞ!
この城跡は、広島県尾道市向島町立花(城山)にある。

余崎城跡備後・余崎城(城郭放浪記)より

因島村上氏の当主村上吉充は厳島合戦において毛利氏に与し、その恩賞として向島と宇賀島を与えられた。村上吉充は余崎城を築いて長崎城から移り居城としたが、永禄10年(1567年)には青木城を築いて居城を移し、余崎城には城代として鳥居次郎が在城したという。

備後・余崎城(城郭放浪記)

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この城も、村上吉充によって建てられたものだと言い伝えられています。

俵崎城跡

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次が、俵崎(つわらざき)城跡の紹介です。
この城跡は、広島県尾道市瀬戸田町鹿田原にあります。

俵崎城跡広島県のお城より

城郭の存在する生口島は古くから小早川氏の領地であり、小早川氏の出城として築城されたと思われる。
15世紀に小早川の新庶家に当たる小早川惟平が生口氏を称し、本城郭の城主になる。

瓦を限定的に使用し整備した海賊城・安芸俵崎城|全国織豊系城郭踏査報告記&影照の盆栽奮闘記

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この城に、関することは明らかにされてないことが多いのう。

鳴滝山城跡

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次は、鳴滝山(なるたきやま)城跡の紹介をしていこう。
この城跡は、広島県尾道市吉和町にある。

鳴滝山城跡備後・鳴滝山城(城郭放浪記)より

築城年代は定かではないが元享年間(1321年~1324年)に宮地次政によって築かれたと云われる。 応永30年(1423年)宮地恒躬の時、大平山城の木頃経兼に急襲され落城、恒躬は討死し、恒躬の子明光は因島村上氏を頼って落ちたという。

備後・鳴滝山城(城郭放浪記)

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この城も、わからない事が多い城のようですね。

百島茶臼山城跡

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最後は、百島茶臼山(ももやまちゃうすやま)城跡の紹介をしていきたいと思います。
この城跡は、広島県尾道市百島町にあります。

百島百島 (広島県) – Wikiwandより

1504 年、因島村上氏の村上喜兵衛義高が百島に築いた城。百島は、尾道と鞆の浦のほぼ中間にあり、山陽側の航路の要衝として重要な位置にある。

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この城は1504年に、喜兵衛義高(きへいよしたか)によって建てられたんじゃの。
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紹介してきた、17個の城跡と地蔵鼻が「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」のストーリーを構成する、文化遺産となっています。
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こんなにたくさんの城が、村上海賊と関係してるなんて知らなかったです!

村上海賊に関連する城跡アクセスマップ

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これら17個の城跡の位置を、下のマップにまとめてみたぞい!
赤のピンが愛媛県今治市青のピンが広島県尾道市の城跡になっておる。
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詳しい位置は、マップで確認できるってことですね。

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重なって見えにくいピンもありますが、拡大してみる事ができます。
このマップを参考に、皆さんも村上海賊に関連する城跡を訪れてみてくださいね!

関連情報

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甘崎城 ~日本唯一の近世城郭海城~
http://www.imabari-shimanami.jp/spot/amazaki.html
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国分山城 鷹ヶ森城 高仙山城 余湖
http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ehime/imabarisi02.htm

近隣の観光マップ「ついでにおいでや!」

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愛媛県今治市の観光マップだよ!ついでに行きたいところをピックアップしたからね。マップ内の数字をクリックして関連記事にも飛ぶことができるよ。

今治市周辺の観光案内

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特集した関連記事に飛ぶから、ついでにアクセスしてみてね!

①・今治みなと交流センター「はーばりー」
②・今治城
③・亀老山
④・大山祇(おおやまづみ)神社
⑤・タオル美術館ICHIHIRO
⑥・糸山公園
⑦・のまうまハイランド
⑧・かわら館

⑨・サイクリングターミナル・サンライズ糸山
⑩・村上水軍博物館
⑪・道の駅 よしうみいきいき館
⑫・カレイ山展望公園
⑬・鈍川温泉
⑭・ドルフィンファームしまなみ
⑮・イオンモール今治新都市


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