2023年最新【湯築城跡】道後公園内の歴史ある日本100名城!日本最古の湯釜・桜の名所・スタンプなど観光スポット盛りだくさん
愛媛県松山市にある「湯築城跡」(ゆづきじょうあと)。
歴史ある史跡として、国指定文化財・日本100名城に選ばれています。
当時湯築城があったときの歴史を学ぶことができる湯築城資料館や日本100名城のスタンプもあります!
また、湯築城跡がある道後公園内には、日本最古の温泉「道後温泉」で使われた湯釜や桜の名所、ゆうぐ広場など、遊びや見どころも盛りだくさんな観光スポットです。
湯築城へのアクセスや駐車場情報も合わせて紹介します。
【2023年5月5日】最新情報更新です!
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「湯築城」と道後公園の歴史
今回は、愛媛県松山市にある「湯築城跡」を紹介します。
湯築城跡は、道後公園の中にあります。
まず湯築城の歴史から説明すると、時代は、室町時代まで遡ります。
湯築城を築いた河野氏は、源平の合戦の際は源氏方についていました。
湯築城は、風早郡河野郷から出た、伊予の豪族河野氏が道後に築いた城である。源頼朝と結び勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)で没落した河野通信、弘安の役(1281年)の活躍で勢力を回復した河野通有と浮枕を繰り返した河野氏は、通盛の代に伊予国守護に任じられ、全盛期となった。この通盛が、建武年間(1334年~1338年)に築城した湯築城は、江戸時代の『湯築古城図』によれば、内堀と外堀をもち、丘陵頂部の「本壇」と北方の「杉の壇」、東方の「中壇」の郭や家臣居住空間等を構えた、堂々とした平山城である。築城後も、河野氏は諸国との戦いや内紛をくりかえし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、城もやがて廃城となった。
豊臣軍の四国討伐で敗北した河野氏が、城を明け渡してまもなく廃城となり、現代は外堀と内堀のみが残っている状態です。
廃城になったあと、道後公園になる前は、動物園や植物園、遊園地だった時期もありました。
年月日 項目 明治19年9月13日 道後民有地を陸軍省が買収し松山公園(現城山公園の一部)と換地し た土地に、県が内務省の認可を受けて道後植物園を設置 21年6月26日 内務省の認可を受け、植物園を廃止し県立道後公園を設置 22年11月11日 外堀を公園区域に編入 大正3年5月8日 北側の外堀並びに堤を埋め立て、温泉浴場及び公園、遊園地を新設 昭和2年3月 水禽舎、噴水、猿小屋、事務所を建設 28年10月1日 園内に県立道後動物園を新設 35年3月20日 頂上に展望台を建設 42年8月14日 えひめ子供の家建設 44年10月5日 東グランドに児童交通公園を設置 56年4月2日 松山市立子規記念博物館開館 62年10月21日 道後動物園閉園(62年10月28日動物移送開始、63年4月1日とべ動物園開園) 平成14年4月12日 旧動物園区域を湯築城跡として復元整備し、リニューアルオープン 14年9月20日 国史跡「湯築城跡」となる 道後公園の沿革|愛媛県庁
やがて、湯築城跡は数々の遺跡を元に、これから紹介する湯築城資料館や武家屋敷など、当時の姿が忠実に復元され、国史跡「湯築城跡」となりました。
全国的にも非常に貴重な、地形をうまく利用した戦国時代中期の平城遺跡です。
国指定文化財・日本100名城認定の名城です!
2002年9月20日 | 国指定文化財 |
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2006年4月6日 | 日本100名城 |
松山城も日本100名城に認定されているので、松山市には日本100名城に認定されたお城が2つもあるんです!
ぜひ松山観光の際には、両城とも巡ってみてはいかがでしょうか。
湯築城跡(道後公園)のエリアマップ
湯築城跡(道後公園)のエリアマップを紹介します。
こちらの湯築城概要地図を参考にしてください。
湯築城資料館で湯築城を学ぼう!
当時の「湯築城」については、まず道後公園敷地内にある「湯築城資料館」に行くのがおすすめです。
より深く学ぶことができます。
湯築城と河野氏の歴史を紹介したパネル展示や、発掘調査で見つかった遺物などが展示されています。
まずはここで歴史の流れを掴んでから巡ると湯築城跡の見え方が違ってきます。
戦国時代の湯築城をバーチャル体験!
湯築城資料館では、この二重の土塁と塀に囲まれた名城湯築城の戦国時代の姿が、VRゴーグルでバーチャル体験できます!(2023年5月3日〜)
無料で体験できるそうです。
バーチャル体験の様子は道後公園湯築城跡【公式】Instagramをチェックしてみてくださいね。
開館時間・休館日・入場料
湯築城資料館の開館時間・休館日・入場料についてはこちらです。
開館時間 | 9:00~17:00 |
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休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12/29~1/3) |
入館料 | 無料 |
当時の様子を復元した武家屋敷
武家屋敷がある場所は、当時、河野氏に仕えていた家臣など上級武士が住む住宅があったとされていて、それが忠実に再現されています。
これは武家屋敷1です。
中には自由に入って見学できるようになっています。
戦国時代の武士たちの住宅の外観、内装、道具、衣装など、当時の暮らしぶりが分かります。
次は武家屋敷2です。
当時の湯築城を作るために使われた大工の道具などが展示されています。
土塁展示室で外堀の仕組みを見学しよう
地下へと続くこちらは「土塁展示室」です。
湯築城は平城だったので、土を盛り上げて高い外堀を作って、城内の守りを固めたような造りをしていたそうです。
当時の外堀土塁を、こうして遺して展示しています。
600年以上前のものが、現在でも遺っているということは、とても頑丈に作られていたのですね。
日本100名城のスタンプがあります!
湯築城跡には、日本100名城スタンプラリーがあります。
湯築城資料館の入り口に置いてあります。
日本100名城スタンプラリーの手順についてはこちらで紹介されています。
100個全てのスタンプが集まったら、登城認定者として登録されるようです。
日本100名城スタンプラリー | 公益財団法人日本城郭協会
選りすぐりの名城100城、巡ってみたいものですね。
「道後公園」の見どころをまとめてご紹介
湯築城跡のある「道後公園」についても紹介します。
日本最古の湯釜がある!
これは、道後温泉で使われていた湯釜です。
直径は166.7cm、高さが157.6cmの円筒形、花崗岩製の湯口である。天平勝宝年間(749年~757年)に作られたと伝えられ、正応元年(1288年)河野通有の依頼により一遍上人が湯釜の宝珠に「南無阿弥陀佛」の6字の名号を彫ったという。享禄4年(1531年)には河野通直が尾道の石工に命じ、胴まわり部に天徳寺の徳応禅師撰文の温泉記を彫らせた。この湯口は、現在の道後温泉本館ができる明治27年(1894年)まで使われたもので、温泉史上貴重なものである。
日本最古の湯釜とも呼ばれていて、今は役目を果たし祀られています。
はるか昔に、道後温泉で使われていた湯釜です。
たくさんの人を温泉で癒してきたと思うと、感慨深く、情趣がありますね。
道後温泉の神様のような湯釜です。
展望台から松山市街地を一望!
湯釜から坂を登って行くと、頂上に展望台もあります。
これが展望台です。
美しい山々や松山市街地を一望できます。
湯築城があった時代、城主はここから町を見守っていたのかもしれません。
360°ぐるりと素晴らしい景色が見渡せます。
夜景も素敵だと思います。
ゆうぐ広場あり!ベビーカーも利用しやすい歩道
道後公園内には、子どもたちが遊べる遊具もあります。
「ゆうぐ広場」という場所があって、そこに複合型の大きな遊具があります。
すぐ隣にはグラウンドがあって、キャッチボールやバドミントンなどを楽しむ人が多いようです。
また、道後公園内はベビーカーや車いすでも入園しやすく、歩道などはバリアフリーが整備されています。
小さなお子さま連れのお出かけも安心です。
ウォーキングや犬の散歩をされている方も多いです。
お花見や桜の名所!夜桜のライトアップも
道後公園は、愛媛県内でも有数な桜の名所です。
ゆうぐ広場の近くにあるグラウンドは、敷地を囲むように桜が植えられていて、満開の時の美しさは格別です。
また、いこいの広場には、松山地方気象台「桜の標本木」があって、愛媛県の桜前線の目安とされ、愛媛県の桜の開花は、道後公園の桜を指標に発表されています。
桜の満開時は、道後公園内に提灯が飾られたり、出店や屋台が並んでお祭りムードになります。
桜の開花時期に合わせて、夜桜のライトアップも行わます。
道後温泉でゆっくり身体を癒したあと、夜桜を眺めながらお酒を飲むのが最高です。
正岡子規や夏目漱石も同じようにお花見をしたかもしれませんね。
春は道後温泉に行って、夜は道後公園でお花見するのもおすすめです。
子規記念博物館
最後は「子規記念博物館」を紹介します。
愛媛県松山市出身の正岡子規(まさおかしき)の作品を数多く展示しています。
正岡子規については、こちらの略歴をご覧ください。
正岡子規[まさおか・しき]
俳人、歌人。本名、正岡常規(つねのり)。幼名、升(のぼる)。
慶応3年10月14日(旧暦9月17日)~明治35年9月19日。
現在の愛媛県松山市花園町に生まれる。
明治16年、上京。当時は政治家志望であったが、やがて文学者志望に転ずる。
明治25年、俳句論「獺祭書屋俳話」の連載を開始し、注目を浴びる。明治28年、日清戦争従軍後、帰国途中に喀血。
以後、永い病床生活に入るも、文学上の仕事は活発化し、翌29年には三千以上の俳句を残す。
明治31年、「歌よみに与ふる書」を発表し、短歌革新にものりだす。
芭薫や古今和歌集についての自説を展開して、それらの全国的な再評価を喚起した。
明治35年9月19日、脊椎カリエスにより死去。享年34歳。
愛媛県松山市出身の正岡子規は、俳句をはじめとする文学者で、夏目漱石や秋山兄弟とのゆかりも深く、野球王国松山に野球の楽しさを伝えた人物です。
子規博物館についての開館情報・展示作品・イベント情報などは、こちらのリンクを確認してみてください。
松山市立子規記念博物館ホームページ
湯築城跡・道後公園の詳細情報とアクセス
湯築城跡・道後公園の詳細情報とアクセスを紹介します。
住所 | 〒790-0857 愛媛県松山市道後公園 |
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電話番号 | 089-941-1480 |
開園時間 | 24時間開園 |
入園料 | 無料 ただし、子規博物館は別途入館料が必要 |
ホームページ | http://www.dogokouen.jp/ |
Googleストリートビュー
周辺の様子が分かるようにGoogleストリートビューを貼っておきます。
道後公園西口に合わせています。
マップ
最寄り駅は、伊予鉄道路面電車「道後公園駅」です。
JR松山駅から伊予鉄道の路面電車「松山駅前」で道後温泉行きに乗り換えて「道後公園」駅で降りるとスムーズです。
専用駐車場(パーキング)と駐輪場
駐車場は北口と西口の二ヶ所あります。
こちらは北口駐車場、11台駐車できます。
こちらは西口駐車場。
23台駐車できます。
駐車場の利用料金と利用時間はこちらです。
北口・西口ともに同じです。
利用時間 | 30分/100円 |
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利用時間 | 24時間営業 |
駐輪場はこちら。
道後公園西口にあります。
公式のInstagramがあります。
季節のお花の開花情報やマルシェの湯築市のイベント情報など、最新情報をぜひチェックしてください。
周辺観光スポット
湯築城跡・道後公園の周辺観光スポットについて、紹介します。
各リンクから詳細を確認してみてくださいね。
道後温泉
道後温泉には2つの伝説があるそうです。
あの「歴史上で有名な人物」も、道後温泉を訪れたとか。
詳しくはこちらを見てください。
道後温泉に2つの伝説あり?現存する道後温泉本館の起源に迫る!
道後温泉商店街
道後温泉のグルメ・カフェ情報やカラクリ時計についてはこちらをご覧ください。
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空の散歩道
道後温泉本館の全体を眺められる「空の散歩道」があり、フォトスポットとしてもおすすめです。
【道後温泉・空の散歩道】道後温泉本館全体を眺められる絶好のスポット!
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