要チェック!
愛媛県松山市にある道後温泉は、日本で最も古いと言われる有馬温泉、白浜温泉と並ぶ日本三古湯の一つで、約3000年もの深い歴史を持っている温泉です。
この道後温泉には、聖徳太子や正岡子規、夏目漱石など歴史上有名な人も数多く入浴している温泉です。
この温泉の起源とされる伝説は2つあり、玉の石の伝説と白鷺伝説という伝説が残されています。
また1894年に建てられた道後温泉本館は、斬新なデザインで現在も道後温泉のシンボルとして存在します。
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道後温泉について
今日は、道後温泉について紹介していきたいと思います。
よろしくお願いします。
越智さん、ジャック!
とても古そうな建物だね!
(写真提供:Yumiko Tamai様)
いったいどんな歴史があるんだろう!?
起源とされる「玉の石の伝説」
この石は何?
(写真提供:Yumiko Tamai様)
そんな昔の物が、まだ残っているんだね。
どんな言い伝えがあるんだろう?
(写真提供:Yumiko Tamai様)
神話の時代、大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅の疲れからか少彦名命が急病に苦しんだ。大国主命は大分の「速見の湯」を海底に管を通して道後へと導き、小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしたという。
今では、道後温泉本館の北側に大切に奉られていますよ。
(写真提供:Yumiko Tamai様)
こんな言い伝えがあるんだったら御利益ありそうだね!
もう一つの起源となった「白鷺伝説」
道後温泉の起源とされる言い伝えは、玉の石だけじゃないのよ!
それは、「白鷺伝説」という言い伝えよ。
いったいどんなものなんだろう?
(写真提供:Yumiko Tamai様)
もうひとつ、道後温泉の起源となったお話があります。これも大昔のお話しです。
道後の山里に、足の傷ついた白鷺が毎日舞い降りていました。それを見た村人が、鷺の降りる所に何があるのだろうかと行ってみると、岩の割れ目から湯が湧き出ていました。白鷺はその湯に、傷ついた足をひたしていたのでした。白鷺が何日かそれを繰り返したのち、傷は全く癒えて元気になりました。この話はまたたく間に人々に広がり、やがて大勢の人がその湯に入るようになったということです。
(写真提供:Yumiko Tamai様)
聖徳太子も道後温泉に入った
そんな有名な人も入ってる温泉なんだ!
病気療養のため道後温泉に滞在したことが伊予国風土記逸文に記されている。皇子は伊佐爾波の岡に登り、風景と湯を絶賛し、記念に碑文を遺したとされる(伊予湯岡碑)。しかし今日までその現物は発見されておらず、道後温泉最大の謎とされている。14世紀に河野氏が湯築城造営の際に持ち去ったという説もある。椿の湯の南側の緑地にその模様を記した碑が建立されている。
(写真提供:Yumiko Tamai様)
復元された石碑は、椿の湯前(愛媛県松山市道後湯之町19-22)にあります。
斬新なデザイン!道後温泉本館完成
(写真提供:Yumiko Tamai様)
1890年、道後湯之町の初代町長として伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が就任した。この頃、町の最大の懸案は、老朽化していた道後温泉の改築であった。
伊佐庭は町長就任に際して、自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。総工費は13万5千円。当時の小学校教員の初任給が8円といわれた時代で、あまりに膨大な予算に町民は驚き、町の財政が傾きかねない無謀な投資だと非難が渦巻いた。反対運動は激しさを増し、伊佐庭が命の危険を感じるほどであったが、伊佐庭は決定を貫き通した。
今ならすごいお金だね。
道後温泉本館に関する情報は、下記のURLをクリックしてくださいね。
【改修工事前に急げ!】千と千尋の神隠し・油屋のモデル「道後温泉本館」
道後温泉における歴史の流れ
西暦年代 道後温泉に関する事項 596年 聖徳太子、伊予温泉に来浴される 639年 舒明天皇、道後に行幸される 661年 斉明天皇、道後に行幸される 熟田津の歌がつくられる 713年 山部赤人、伊予の湯に来て歌を詠む 1288年 一遍上人、道後の奥谷宝厳寺に留まる 湯釜の宝珠に六字の名号を書いたと伝う 1531年 河野太郎通直、道後温泉の湯釜に銘文を刻する 1562年 河野通直、入浴規定を定め、石手寺の僧に便宜をはかる 1614年 地震のため、温泉の湧出とまる 1625年 地震のため、温泉の湧出とまる 1635年 松平定行、松山城主として入部する 1638年 松平定行、道後温泉の諸施設の充実をはかる 1644年 雲厳、「豫州道後温泉記」成る 1674年 入浴規定が公布される 1680年 入浴規定が公布される 1682年 俳人 岡西惟中、来浴する 1685年 俳人 大淀三千風、来浴する 1685年 地震のため、温泉の湯がにごる 1694年 松山藩主 松平定直、馬湯を改築する 1702年 松山藩主 松平定直、神の湯を改築する 1702年 僧 曇海、「玉の石」という入浴案内書を、編集する 1707年 大地震のため、温泉の湧出とまる 1708年 再び湧出しはじめ、一般の入浴を許す 1708年 「道後温泉之記」、はじめて板行される 1712年 真柳玄昌、「道後温泉不在冷気論」を著わす 1718年 入浴規定が公布される 1741年 入浴規定が公布される 1742年 湯祈祷が行われる 1751年 洒風軒 村山一志、道後温泉の句を集め、刊行する 1795年 小林一茶、来浴する 1801年 杉山熊台 「伊豫国道後温泉記」成る 1821年 十返舎一九、道後温泉の実況を描く 1823年 近藤篤山、来浴する 1824年 頼春風、来浴する 1829年 頼杏坪、来浴する 1832年 徳島藩主 蜂須賀斉昌、道後に来浴する 1854年 大地震のため、温泉の湧出とまる 1855年 再び、湧出しはじめる 1862年 緒方洪庵、入浴する 1863年 九月 魚群、「温泉記」成る 1872年 道後温泉、一・二・三の湯が二層楼に改築される 1875年 原泉社を結成して、温泉の経営をする 1878年 新湯が落成する 1886年 服部南郭の伊予国温泉碑を建てる 1890年 伊佐庭如矢、道後湯之町初代町長となる 1892年 養生湯が改築され、松湯・薬湯が新設される 1894年 伊佐庭如矢初代道後湯之町町長、道後温泉本館を改築。現在の三層楼となる 1895年 正岡子規・夏目漱石、入浴する 1896年 夏目漱石・高浜虚子、入浴する 1899年 霊の湯および又新殿が新築落成する 1903年 道後温泉震災復旧五十年記念祭が開催される 1903年 皇太子 嘉仁親王(大正天皇)来県され、温泉に入浴せられる 1905年 陸軍療養地となる 1905年 日露戦争によるロシア兵捕虜も入浴する 1909年 伊藤博文、来松し温泉に入浴する 1913年 元農商務省技師 河野密、温泉増湯計画に関する調査を行う 1914年 神の湯源泉の増湯に着手する 1914年 又新殿の東北に、新たに新湯を増設する 1916年 農商務省技師 大築洋之助、増湯に関する調査研究を行う 1922年 砂湯・西湯を増設する 1922年 陸軍特別大演習のため、皇太子 裕仁親王(昭和天皇)、来松され道後温泉に入浴される 1923年 国有の温泉敷地が町に払い下げられる 1924年 養生湯を改築する 1927年 ドンコ濛源泉の掘さく工事に着手する 1927年 大衆用として、鷺の湯を開設する 1935年 神の湯を曳移転し、男女二室に改造する 1936年 道後温泉歴史資料展覧会を、開催する 1939年 日本温泉協会学術委員理学博士 小林儀一郎、増湯に関する調査を行う 1939年 当局 小林博士の調査に基づき、公会堂前を掘さくする 1940年 道後公会堂前に、第二号源泉ボーリング成功する 1941年 再び小林博士、源泉調査を行う 1942年 第三号源泉ボーリング成功する 1943年 東京帝国大教授理学博士 加藤武夫、掘さく予定地の調査を行う 1945年 アメリカ軍先遣部隊、松山に進駐し、霊の湯・神の湯の一部・道後公会堂を接収する 1946年 南海地震のため、温泉の湧出とまる 1947年 温泉の湧出はじまり、入浴を再開する 1949年 アメリカ進駐軍、霊の湯を返還する 1950年 天皇来県し入浴される。湯祈祷を、温泉まつりと改称する 1950年 古い湯釜を振鷺園から道後公園内に移し、湯釜薬師と呼ぶ 1953年 「椿の湯」を開設する 1954年 湯釜薬師が県指定文化財となる 1956年 新源泉の湧出による配分施設完成、各旅館の内湯を実現する 1964年 温泉センター開業する 1966年 財産区が廃止され、市の公営企業会計として運営される 1966年 本館3階に、「坊っちゃんの間」開かれる 1966年 大正5年の湯釜修理附属出土品が、市指定文化財となる 1966年 宝暦10年(1760)乾厳の「伊予国道後温泉記」、明月上人の道後温泉詩巻、江戸後期の道後温泉絵図が、市指定文化財となる 1968年 市の特別会計として運営される 1984年 椿の湯を改築する 1994年 明治27年改築の神の湯棟が、築後百年となり、「本館建設百周年記念事業」実施 1994年 道後温泉本館が、国指定重要文化財となる 1996年 振鷺閣の刻太鼓が、環境庁(当時)の残したい「日本の音風景100選」に選定される 2000年 道後温泉本館総合診断の実施 2001年 市職員による「道後温泉本館保存修復検討会」の開催 2002年 学識経験者を含む「道後温泉本館保存修復計画検討委員会」の開催 2003年 本館を火災などから守るため、全館禁煙とする 2003年 愛媛県条例の改正を受け、入浴客の安心・安全を最優先に、塩素系薬剤による消毒を始める 2004年 「道後温泉本館保存修復計画検討委員会」より、松山市長へ中間報告がなされる 2004年 平成15年施行された「健康増進法」を受け、椿の湯を館内禁煙とする 2014年 道後温泉本館改築120周年を記念し「道後オンセナート 2014」開催
関連情報
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%8C%E6%B8%A9%E6%B3%89
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