愛媛県松山市にある「湯築城跡」(ゆづきじょうあと)。
歴史ある史跡として、国指定文化財・日本100名城に選ばれています。
当時湯築城があったときの歴史を学ぶことができる湯築城資料館や日本100名城のスタンプもあります!
また、湯築城跡がある道後公園内には、日本最古の温泉「道後温泉」で使われた湯釜や桜の名所、ゆうぐ広場など、遊びや見どころも盛りだくさんな観光スポットです。
湯築城へのアクセスや駐車場情報も合わせてご紹介します。
「湯築城」と道後公園の歴史
松山市にお城が2つもあるの!?
いつ、誰が築いたのかしらね~。
まずは、歴史を説明しよう。
時代は、室町時代まで遡る。
湯築城を築いた河野氏は、源平の合戦の際は源氏方についておったんじゃ。
湯築城は、風早郡河野郷から出た、伊予の豪族河野氏が道後に築いた城である。源頼朝と結び勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)で没落した河野通信、弘安の役(1281年)の活躍で勢力を回復した河野通有と浮枕を繰り返した河野氏は、通盛の代に伊予国守護に任じられ、全盛期となった。この通盛が、建武年間(1334年~1338年)に築城した湯築城は、江戸時代の『湯築古城図』によれば、内堀と外堀をもち、丘陵頂部の「本壇」と北方の「杉の壇」、東方の「中壇」の郭や家臣居住空間等を構えた、堂々とした平山城である。築城後も、河野氏は諸国との戦いや内紛をくりかえし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、城もやがて廃城となった。
豊臣軍の四国討伐で敗北した河野氏が、城を明け渡してまもなく廃城となり、現代は外堀と内堀のみが残っている状態なんじゃ。
すぐ道後公園になったの?
道後公園になる前は、動物園や植物園、遊園地だった時期もあったそうじゃ。
年月日 項目 明治19年9月13日 道後民有地を陸軍省が買収し松山公園(現城山公園の一部)と換地し た土地に、県が内務省の認可を受けて道後植物園を設置 21年6月26日 内務省の認可を受け、植物園を廃止し県立道後公園を設置 22年11月11日 外堀を公園区域に編入 大正3年5月8日 北側の外堀並びに堤を埋め立て、温泉浴場及び公園、遊園地を新設 昭和2年3月 水禽舎、噴水、猿小屋、事務所を建設 28年10月1日 園内に県立道後動物園を新設 35年3月20日 頂上に展望台を建設 42年8月14日 えひめ子供の家建設 44年10月5日 東グランドに児童交通公園を設置 56年4月2日 松山市立子規記念博物館開館 62年10月21日 道後動物園閉園(62年10月28日動物移送開始、63年4月1日とべ動物園開園) 平成14年4月12日 旧動物園区域を湯築城跡として復元整備し、リニューアルオープン 14年9月20日 国史跡「湯築城跡」となる 道後公園の沿革|愛媛県庁
2002年9月20日 | 国指定文化財 |
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2006年4月6日 | 日本100名城 |
確か、松山城も日本100名城に認定されているわよね。
松山市に日本100名城に認定されたお城が2つもあるって、すごいわ~。
湯築城跡(道後公園)のエリアマップ
こちらの湯築城概要地図を参考に見てみるんじゃ。
湯築城資料館で湯築城を学ぼう!
湯築城跡のことなら、道後公園敷地内にある「湯築城資料館」に行くが良い。
より深く学ぶことができるぞ。
開館時間・休館日・入場料
開館時間 | 9:00~17:00 |
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休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12/29~1/3) |
入館料 | 無料 |
当時の様子を復元した武家屋敷
こんなところに、お家があるよ~!
なんだろ~。
この武家屋敷がある場所は、当時河野氏に仕えておった家臣や上級武士が住む住宅があったとされていて、それを再現しておるんじゃ。
中には自由に入って見学できるようになっておるぞ。
戦国時代の武士たちは、こんなお家に住んでいたんだね!
あら、こちらも時代劇のワンシーンみたい~。
懐かしいのう~。
さあ、次は武家屋敷じゃ。
当時の湯築城を作るために使われた大工の道具などが展示されておるぞ。
土塁展示室で外堀の仕組みを見学しよう
これは何かしら~?
湯築城は平城だったで、土を盛り上げて高い外堀を作って、城内の守りを固めたような造りをしておったそうじゃ。
当時の外堀土塁を、こうして残して展示しておるんじゃよ。
確かに、この周辺は土塁の壁に覆われているわよね。
現在でも残っているってことは、とっても頑丈に作られたんでしょうね。
日本100名城のスタンプがあります!
湯築城跡にもスタンプはあるのかしら?
湯築城資料館の入り口にあるぞ。
100個全てのスタンプが集まったら、登城認定者として登録されるみたいじゃな。
日本100名城スタンプラリー | 公益財団法人日本城郭協会
全てのスタンプを押すには、日本全国各地のお城を100か所巡るってことだよね。
集めるの大変そうだけど、やってみたいな~。
「道後公園」の見どころをまとめてご紹介
道後公園内の見どころってあるのかしら。
道後公園も案内するぞ。
日本最古の湯釜がある!
この大きな釜みたいなのは何だろー?
直径は166.7cm、高さが157.6cmの円筒形、花崗岩製の湯口である。天平勝宝年間(749年~757年)に作られたと伝えられ、正応元年(1288年)河野通有の依頼により一遍上人が湯釜の宝珠に「南無阿弥陀佛」の6字の名号を彫ったという。享禄4年(1531年)には河野通直が尾道の石工に命じ、胴まわり部に天徳寺の徳応禅師撰文の温泉記を彫らせた。この湯口は、現在の道後温泉本館ができる明治27年(1894年)まで使われたもので、温泉史上貴重なものである。
たくさんの人を温泉で癒してきたんでしょうね。
展望台から松山市街地を一望!
行く行く~!
湯築城があった時代、城主はここから町を見守っていたのかもしれんな。
360°ぐるりと見渡せるわね。
きっと夜景も素敵なんだろうな~。
ゆうぐ広場あり!ベビーカーも利用しやすい歩道
「ゆうぐ広場」という場所があって、そこに複合型の大きな遊具があるんじゃ。
これは楽しそうだね!
小さなお子さん連れのお出かけも安心じゃな。
お花見や桜の名所!夜桜のライトアップも
ゆうぐ広場の近くにあるグラウンドは、敷地を囲むように桜が植えられておって、満開のときはそれは美しいんじゃ。
愛媛県の桜の開花は、道後公園の桜を指標に発表されているんだね~。
酒が足りなくなっても、ここで購入できるのう。
次のお花見はここで決まりね!
子規記念博物館
なにが展示されている博物館なの?
正岡子規については、こちらの略歴を見てみてくれ。
正岡子規[まさおか・しき]
俳人、歌人。本名、正岡常規(つねのり)。幼名、升(のぼる)。
慶応3年10月14日(旧暦9月17日)~明治35年9月19日。
現在の愛媛県松山市花園町に生まれる。
明治16年、上京。当時は政治家志望であったが、やがて文学者志望に転ずる。
明治25年、俳句論「獺祭書屋俳話」の連載を開始し、注目を浴びる。明治28年、日清戦争従軍後、帰国途中に喀血。
以後、永い病床生活に入るも、文学上の仕事は活発化し、翌29年には三千以上の俳句を残す。
明治31年、「歌よみに与ふる書」を発表し、短歌革新にものりだす。
芭薫や古今和歌集についての自説を展開して、それらの全国的な再評価を喚起した。
明治35年9月19日、脊椎カリエスにより死去。享年34歳。
どんな作品をここで生み出したのか、ぜひ見てみたいわ。
松山市立子規記念博物館ホームページ
湯築城跡・道後公園の詳細情報とアクセス
住所 | 〒790-0857 愛媛県松山市道後公園 |
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電話番号 | 089-941-1480 |
開園時間 | 24時間開園 |
入園料 | 無料 ただし、子規博物館は別途入館料が必要 |
ホームページ | http://www.dogokouen.jp/ |
Googleストリートビュー
道後公園西口に合わせているわよ。
マップ
JR松山駅から伊予鉄道の路面電車「松山駅前」で道後温泉行きに乗り換えて「道後公園」駅で降りるとスムーズじゃぞ。
専用駐車場(パーキング)と駐輪場
こちらは北口駐車場、11台駐車できます。
23台駐車できます。
利用時間 | 30分/100円 |
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利用時間 | 24時間営業 |
道後公園西口にありますよ。
周辺観光スポット
各リンクから詳細を確認してみてね。
あの「歴史上で有名な人物」も、道後温泉を訪れたそうよ。
詳しくはこちらを見てね。
【3000年の歴史】道後温泉に2つの伝説あり!現存する道後温泉本館の起源に迫る!?